概念化への挑戦
どんな企業でも成長は出来る。市場を見極め、適切な戦略を採りさえすれば。
「適切な」と口で言うのは容易いが、もちろん実際には熾烈な競争が待ち構えていたりして、経営は楽じゃない。でも一企業がただ普通に成長するために、誰もが感心するような斬新な発想や、未開拓の市場(ブルーオーシャン)は必要ない。手垢のついた凡庸な戦略であろうとも、それが合理的であり、徹底され続けさえすれば、企業は着実に成長できるだろう。
ここでまず「手垢のついた凡庸な戦略」とは何かについて立ち返ってみたい。
新規出店の投資収益率は資本コストを上回るか。撤退判断の定量基準をどう設定するか。売上高人件費率は過去平均から乖離していないか。広告宣伝費はどの媒体に投入するのが効果的か。競合を打ち負かすために注力すべきはコスト競争力か技術優位性か。新製品を自社工場で作る場合と外注する場合のそれぞれのメリット・デメリットは何か。優秀な人材確保のために入社試験では学歴・面接・ペーパーテストの何に比重を置くべきか。従業員の安全成績と業績は相関するか。相関するならコスト度外視で事故ゼロを目指すべきか、限界効用が最大化する地点で止めておくか。
どれも目新しい検討項目ではない。経営のハウツー本を読めば、どこかのページに書いてあるような事柄だ。しかし安心して欲しい。競合他社はこれら凡庸な項目たちについて、日々、本当の意味で深く、真剣に、徹底して考え抜いていない。だから、ただ普通に成長するのは容易いのだ。その機会を投資家としての私は素晴らしいと思うし、そういう基本に忠実な企業に積極的に投資したいと考えている。
そしてこれを「戦略による成長」と定義しよう。
かたや自らを限りなく「概念」に近づけることで、不特定多数の顧客に訴求することを試みる企業がある。ここで言う不特定多数とは、従来の常識を超える規模に拡散しているため、もはや世界と言い換えてもいいかもしれない。
例えば、
そう、例えば地球上でもっとも概念に近い企業はグーグルを置いて他にない。グーグルはまさに地球上のすべてをデータ化しようという壮大な野望を持って生まれ、今に至っている。アップルやマイクロソフトなど他のテクノロジー企業とグーグルを隔てている決定的な違いは、その先に具体的なイメージを持った顧客が存在するか否かに尽きる。アップルが路上でスマホを眺める一般消費者と、マイクロソフトが様々な事業法人と、それぞれビジネス上で強く結びついている様が容易に想像できることに比べ、グーグルが商売の相手にしている対象は、何とも曖昧な輪郭に収まっている。もちろん、我々は形式的には広告代理業と呼んで差し支えないグーグルの顧客が、様々な個人・企業広告主であることを知っている。だが、我々の誰一人としてそんな回答で腑に落ちることはない。
なぜなら、ただの広告代理業者はインターネット人口を増やすという目的で衛星写真や地図、メールなどのサービスを無料で提供したりはしない。通信事業者のように光ファイバー網を構築したりしない。モバイル・デバイスを販売したりしない。これらの施策からは、自らがネットワークそのものと同化し、空気のように世界に充満しながら薄く広く消費者と接触せんという途方もない意図がうかがえる。これを概念化と呼ばずして何と呼ぼう。
一方で、今以上の概念化はおそらくグーグルの実力では無理とも思える。個々の事業が醸し出す裏の意図には底知れぬ恐ろしさを感じさせる何かがあるものの、肝心のサービスの出来はかなり中途半端なものが少なくないからだ。そういう意味では普通の企業っぽい一面も持ち合わせており、株主として安心して見ていられる企業でもある。
概念化という路線を邁進する企業には、他にスターバックスやテスラ・モーターズが挙げられるかもしれない(戦略不在のTwitterはお呼びでない)
しかし、いかにも迫力不足だ。やはり野心の壮大さと規模の面でグーグルを脅かす存在がいるとすれば、その最右翼はFacebookとアマゾンになる。どちらも自らの世界観で世界を覆い尽くすという強い野心を感じさせる意味においてグーグルに引けを取っておらず、個別戦略に目を落としてみても、この三社は驚くほど似通ったことを行っていることに気が付く。
概念化には終着点がなく、それゆえ突き詰めれば「戦略による成長」では決してなし得ない成長軌道を描くことが出来る。
投資先としてみた場合、どちらがいいだろう。地道で着実な成長をする企業か、爆発的な潜在力を持つ企業か。
選択の決め手は、バリュエーションもあろうし、個人として不確実性とどの程度戯れることが出来るかというところにもかかわってくるのだろう。
ただ、投資家にとってこのような悩みは少なくとも20世紀には存在しなかった。
私の年代はよく氷河期世代だとか不運の代名詞として語られることも多いのだが、一方でコンピューターゲームの進化過程やインターネットの爆発的な普及を多感な時期に実体験として通過しているという点で、物理が支配する世界と電脳が支配する世界をそれぞれ肌感覚として知っている。グーグル株に投資できることも含め、このような貴重な時代を通過する経験に恵まれた80年生まれであることを、私は本当に幸運に思っている。
ちなみに私は映画ほどではないにせよ音楽もよく聴く方なのだが、この世界で最も概念化に近い戦略を採っている存在はPerfumeと考えている。その野心の大きさはグーグルと比べるとあまりにもちっぽけに見えるが、何より、喋ったり、家族がいたり、出身地があったりと、概念化の邪魔になる様々な属性に満ちた人間という極めて具体的な有機体が、戦略によってどこまで概念に接近できるか、その挑戦に心を奪われざるを得ない。そんな意味のない告白により、今回の投稿を締める。
「適切な」と口で言うのは容易いが、もちろん実際には熾烈な競争が待ち構えていたりして、経営は楽じゃない。でも一企業がただ普通に成長するために、誰もが感心するような斬新な発想や、未開拓の市場(ブルーオーシャン)は必要ない。手垢のついた凡庸な戦略であろうとも、それが合理的であり、徹底され続けさえすれば、企業は着実に成長できるだろう。
ここでまず「手垢のついた凡庸な戦略」とは何かについて立ち返ってみたい。
新規出店の投資収益率は資本コストを上回るか。撤退判断の定量基準をどう設定するか。売上高人件費率は過去平均から乖離していないか。広告宣伝費はどの媒体に投入するのが効果的か。競合を打ち負かすために注力すべきはコスト競争力か技術優位性か。新製品を自社工場で作る場合と外注する場合のそれぞれのメリット・デメリットは何か。優秀な人材確保のために入社試験では学歴・面接・ペーパーテストの何に比重を置くべきか。従業員の安全成績と業績は相関するか。相関するならコスト度外視で事故ゼロを目指すべきか、限界効用が最大化する地点で止めておくか。
どれも目新しい検討項目ではない。経営のハウツー本を読めば、どこかのページに書いてあるような事柄だ。しかし安心して欲しい。競合他社はこれら凡庸な項目たちについて、日々、本当の意味で深く、真剣に、徹底して考え抜いていない。だから、ただ普通に成長するのは容易いのだ。その機会を投資家としての私は素晴らしいと思うし、そういう基本に忠実な企業に積極的に投資したいと考えている。
そしてこれを「戦略による成長」と定義しよう。
かたや自らを限りなく「概念」に近づけることで、不特定多数の顧客に訴求することを試みる企業がある。ここで言う不特定多数とは、従来の常識を超える規模に拡散しているため、もはや世界と言い換えてもいいかもしれない。
例えば、
そう、例えば地球上でもっとも概念に近い企業はグーグルを置いて他にない。グーグルはまさに地球上のすべてをデータ化しようという壮大な野望を持って生まれ、今に至っている。アップルやマイクロソフトなど他のテクノロジー企業とグーグルを隔てている決定的な違いは、その先に具体的なイメージを持った顧客が存在するか否かに尽きる。アップルが路上でスマホを眺める一般消費者と、マイクロソフトが様々な事業法人と、それぞれビジネス上で強く結びついている様が容易に想像できることに比べ、グーグルが商売の相手にしている対象は、何とも曖昧な輪郭に収まっている。もちろん、我々は形式的には広告代理業と呼んで差し支えないグーグルの顧客が、様々な個人・企業広告主であることを知っている。だが、我々の誰一人としてそんな回答で腑に落ちることはない。
なぜなら、ただの広告代理業者はインターネット人口を増やすという目的で衛星写真や地図、メールなどのサービスを無料で提供したりはしない。通信事業者のように光ファイバー網を構築したりしない。モバイル・デバイスを販売したりしない。これらの施策からは、自らがネットワークそのものと同化し、空気のように世界に充満しながら薄く広く消費者と接触せんという途方もない意図がうかがえる。これを概念化と呼ばずして何と呼ぼう。
一方で、今以上の概念化はおそらくグーグルの実力では無理とも思える。個々の事業が醸し出す裏の意図には底知れぬ恐ろしさを感じさせる何かがあるものの、肝心のサービスの出来はかなり中途半端なものが少なくないからだ。そういう意味では普通の企業っぽい一面も持ち合わせており、株主として安心して見ていられる企業でもある。
概念化という路線を邁進する企業には、他にスターバックスやテスラ・モーターズが挙げられるかもしれない(戦略不在のTwitterはお呼びでない)
しかし、いかにも迫力不足だ。やはり野心の壮大さと規模の面でグーグルを脅かす存在がいるとすれば、その最右翼はFacebookとアマゾンになる。どちらも自らの世界観で世界を覆い尽くすという強い野心を感じさせる意味においてグーグルに引けを取っておらず、個別戦略に目を落としてみても、この三社は驚くほど似通ったことを行っていることに気が付く。
概念化には終着点がなく、それゆえ突き詰めれば「戦略による成長」では決してなし得ない成長軌道を描くことが出来る。
投資先としてみた場合、どちらがいいだろう。地道で着実な成長をする企業か、爆発的な潜在力を持つ企業か。
選択の決め手は、バリュエーションもあろうし、個人として不確実性とどの程度戯れることが出来るかというところにもかかわってくるのだろう。
ただ、投資家にとってこのような悩みは少なくとも20世紀には存在しなかった。
私の年代はよく氷河期世代だとか不運の代名詞として語られることも多いのだが、一方でコンピューターゲームの進化過程やインターネットの爆発的な普及を多感な時期に実体験として通過しているという点で、物理が支配する世界と電脳が支配する世界をそれぞれ肌感覚として知っている。グーグル株に投資できることも含め、このような貴重な時代を通過する経験に恵まれた80年生まれであることを、私は本当に幸運に思っている。
ちなみに私は映画ほどではないにせよ音楽もよく聴く方なのだが、この世界で最も概念化に近い戦略を採っている存在はPerfumeと考えている。その野心の大きさはグーグルと比べるとあまりにもちっぽけに見えるが、何より、喋ったり、家族がいたり、出身地があったりと、概念化の邪魔になる様々な属性に満ちた人間という極めて具体的な有機体が、戦略によってどこまで概念に接近できるか、その挑戦に心を奪われざるを得ない。そんな意味のない告白により、今回の投稿を締める。
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