第95回 飽和する、投資から遠く離れた小話たち


まったくのところ、トナカイの判断力は貧困を極めていた。
ある朝、トナカイがみすぼらしい小屋で目を覚ますと、台所からとんとんと包丁の音が聞こえてきた。
「ははあ、きのう森で出会ったメストナカイが、おいらんところへ押しかけてきたに違いないぞ!」
トナカイは鏡の前でやれやれの表情をつくってみた。
でも、台所にいたのは母親で、大学受験に失敗したトナカイを励ましに来たのだった。
しかも、とんとんの音は、包丁ではなかった。CDラジカセから聞こえてくるただのコンピレーション・アルバムに過ぎなかったのだ。
へんてこな音だ、とトナカイはおもった。
だけど、判断力がないから、考えるのはやめ。
次の瞬間には"押しかけ女房"を辞典で調べている。
トナカイは、知的好奇心が旺盛なのだ。



玄関を開けると、お袋と光男はすでに榊原逆立ちを繰り返していた。
「早く早く!」
二人が促すので、僕は急いで巻尺を取り出した。
「うん、お袋、昨日より3cm高いよ」
途端にお袋の顔は、ホームラン級の笑顔で満たされる。
僕も同じ笑顔を返そうかと思ったが、唇の右端辺りが引きつって上手くいかない。
くそ、今朝やったナボコフのせいかな。お袋は悲しそうな目で僕を見つめていた。
こうなるともうだめだ。僕の中のミトコンドリアが活性化してきて、光男の顔をヨーグルトまみれにしたくなるのだ。
急いで冷蔵庫を開ける。しかし中にはプッチンプリンしか見当たらなかった。
それでも僕は光男にぶちまけた。
「にいひゃん、おいしいよぅ」
光男の本当にうれしそうな顔を見ると僕はまた悲しくなってきて、網戸の向こうから見物していた鈴木さんに軽く会釈すると、二階に上がって日課のひげ抜きに没入した。
次の日だった。僕が童貞を捨てたのは。



 四月四十三日、午後
 伊豆諸島から遠く離れた無人島に向けて四発の巡航ミサイルが同時発射された。
 千葉県佐倉市に駐屯していた陸自が軌道を逆算して割り出した発射地点は以下の通りである。

●政令指定都市さいたま市役所 <サム>
●中央大学多摩キャンパス6号館 <カロゴン>
●USJ内飲食店 <ドモイ>
●小池栄子宅 <サマンサ>

 目標地の無人島は、実は無人島ではなかった。田中とその妻が自給自足で慎ましく暮らしている土地だったのだ。
 陸自の予測ではまず最も近距離から放たれた<サマンサ>が直撃するはずだった。
 しかしサマンサは無人島の上空に差し掛かると旋廻を始めた。

 10分後、四発が顔を合わせ、一斉に降下する。
 巡航ミサイルはゲバルト火炎瓶1兆本に相当する火力を搭載していた。

 田中はその時もいつもの様に妻を相手にDVにふけっていた。
 田中(大手ゼネコン勤務、享年34歳)が薄ら笑いを浮かべながら妻に振り上げた右拳にまず<ドモイ>がジャスト・ミートした。予期せぬ激痛に悲鳴を上げた大口に<サム>が命中した。あとの二発もそれに続いた。一秒後に起こった惨状の描写は個人的わがままにより割愛させていただきたい。
 恐ろしい陰謀が渦巻いているのは想像に難くないだろうが、本当に想像を絶する恐ろしさである。特に小池栄子宅にまつわる事情には言語に尽くしがたいものがあるが、紙面の関係で省略する。



 グレースは怒られるのが怖くて、慎重に狙った。おかげで的からは2ミリと外れなかった。
 ブラボー、と公爵が言った。「感心しました、ホントのところ!」
 どうもです、とグレースは恐縮した。「骨粗しょう症になってからは、ろくすっぽ的打ちもやってなかったのですが…」
(会場から拍手喝采)
 グレースは続ける。
「これで故郷にも胸を張って帰れます。今回の賞金でカルシウム関連会社を立ち上げようと考えています。すべての人たちに等しくカルシウムが行き渡る世界、これがわたしの望みです」
(割れるような拍手)
(と、ここでグレースはおもむろにハンカチを取り出す。そして上に向かって放り投げた!ハンカチは重力の働きでそのままグレースの足元に落ちた)
「カルシウムが成功したら、次はビタミンB1です。その次はカロチン。そして意表をついてマグネシウム!」
 公爵は落涙し、的打ち大会の取材で居合わせた記者も嗚咽を堪えきれなかった。
 次の日の新聞には大会の記事なんて一行だって載らなかったけど。



 愛くるしい競走馬の首の骨の砕ける音が景気よく場内に響き渡った直後、隅に設置されていたジャングルジムの陰から小さな物体が四つ、勢いよく躍り出た。小人たちの奇襲攻撃だ!
 会場は大パニック。すでに頭の悪そうな小人の一人が、手にした斧で気取った青年実業家の頭をかち割っている。恋人の頭蓋があたりに飛散するのを間近に目撃し、品のいいお嬢さんがその場で気絶する。これを機に一気にいい仲に、と打算を働かせた俺はそれいけと助けに向かうも、背後からやってきた見るからに凶悪な小人が俺を追い越し、手にした散弾銃で彼女の首を平気で吹き飛ばしてしまう。奴ら、完全な武装集団ってわけだ。
 俺も気付けば二人の小人に取り囲まれている。助けを呼ぼうにも、周囲では残り二人の小人による殺戮が着実に生存者を減らしているのだ。このような場合、一番いけないのは焦って無意味な行動を取ること。これは自分を確実に死に追いやる悪魔の選択だ。緊急時こそ基本に戻らなければならない。基本、すなわち、「殺人はいけないことだ」 ファンタジックな文体で書かれているフィクションであろうが、お気楽推理小説であろうが、殺人は絶対によくないのだ。俺は憎むべき殺人を行う小人どもと、殺人をネタにファンタジーや推理小説を書く奴らを憎悪しなければならない。
 そうさ怒りに燃えてきた。この畜生にも劣る小人どもを四人まとめて始末してやらねばもう気がおさまらない! ただ俺だって怒りだけでこの状況打破できると考えるほどオプティミストじゃない。サイヤ人じゃないからな。非常時こそ定石が役に立つ。さっきと同じ理論だ。複数人とのリアルファイトで重要なのは、まず相手のリーダーを把握すること。そして迅速にそいつを"のす"。リーダーの権力が絶大であるほど、残りの連中の統制は乱れる。その隙に連中の急所めがけて一気に攻撃する。殺す気で立ち向かうこと。拳では殺傷力に欠けるから、ポケットに隠し持った得物(バタフライナイフ)で勝負をかけることにする。
 はたしてうまくいくだろうか。いや、いってもらわねば困る。そうこうしているうちにお約束通り小人の凶悪な不意打ちを受けてしまう。お陀仏。死因は頚動脈切断によるショック死。小人のやり方が凄惨だったのもあるが、"死"っていうのは本当に痛い。けれど、ドラゴンボールの奇跡でお嬢さんとともに見事な復活を果たす。そして二人して愛の逃避行。南国で幸せな余生を送ったのです。



「ここの野菜を三日以内に移動させろ。さもなくば処分する」
鈴木将軍の命令によって、丹精込めて育て上げられた色とりどりの緑黄色野菜たちは処理施設の職員の薄汚い手で根こそぎ引っこ抜かれ、息の根を完全に絶たれた。
野菜たちの悲痛な叫び声を、僕は生涯忘れないだろう。
この事件を機に僕の半生を彩ることになる壮大な叙事詩が幕を開けることになろうとは、そのときは思ってもいなかった…

第一章:荒れ果てた畑―生き残った野菜、そして僕
第二章:復讐への決意
第三章:旅立ち、出荷―ありがとう、野菜たち
第四章:野菜処理施設襲撃
第五章:虐待―悪夢の収容所
第六章:死の脱出
第七章:武装勢力との接触
第八章:恋―武装集団の娘・アンナ
第九章:野菜処理施設襲撃、再び
第十章:鈴木将軍暗殺計画
第十一章~:好評連載中



 11時になると、彼女は必ずノックもなしにドアを開け、僕の汚い部屋を玄関で一通り眺めると、土足でどすどす入ってくる。
 僕はちょうどドラクエをやっていて、デスタムーアに126ダメージを与えたところだった。
「なんだよー、このキモい生きもの」
 と彼女が言った。キモいと言われても、それが僕のことなのか、変身後のデスタムーアなのか、水槽にいるミドリガメのなのか僕は知らない。
 とりあえず僕は恐縮しながらドラクエをリセットした。そして彼女の顔色をうかがう。
 にっこりだ。
 キモかったのは、どうやらデスタムーアだったみたい。一安心ってところかな。
 でもその時…
「だからウゼえってんだろ。キモいんだよ、この生きもの」
 僕のうなじからは大量の汗。次はミドリガメのキティちゃんをこの手にかけなければならないのか。



 マイケルが毎朝欠かさず特製”源如弘”ジュースを飲み続けるのは、別に好物だからではない。源如弘に含まれる天然ポリフェノールがマイケルを心身共にゴキゲンにしてくれるからだ。
 マイケルは源如弘を飲むだけではない。手のひら全体を使って丁寧に大事な場所に塗りたくる。使用書には”お子さまの手の届かないところで保管して下さい。性器には絶対に塗らないで下さい”という注意書きがちゃんとあるのだが、マイケルは芯まで沁み入る源如弘のメンソール感の虜だからそんなのはお構いなし。そしてそのことをアウトローだと思っていて、周囲の人間にいつも自分のワイルドさを自慢している。
 さて、会社の始業時間が近づいてきた。ハイテンションになったマイケルは自分がスパイダーマンになる空想をする。いい具合に窓が開いていた。自宅三階から勢いよくジャンプ! ゴキっと鈍い音がしたが、マイケルの骨は無傷。だからといって源如弘に大量のカルシウムが含まれ、それがマイケルの骨を日々強化し続けているというのではない。マイケル宅の玄関前で彼を待っていた後輩の骨が代わりに折れたにすぎない。
 このようにとっても素晴らしい万能飲料。お求めはお近くのコンビニエンスストアで。

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