第84回 のぼるの成人式
はっきり言ってしまえば見るべきものがなくなってしまったからで、責任の追及はひたすらに無意味だ。単純なのぼるはそれが判らないので、「何とかしろ!」とか、「動け、動くんだ!」とか、その他よく聞き取れない言葉を闇雲に絶叫するばかり。未だに現状が理解できていないのである。
さて、事は諸君の想像より複雑で、冒頭からのぼるの元服やら日本国民の新たな嗜好やら色々と説明する物が順番待ちしているのだが、「ひまわりイグアナ公園」の歴史から記すことが最も効率的かつ詩的であろう。
「ひまわりイグアナ公園」は由緒あるテーマパークである。戦前戦中は小学校の道徳教科書にも掲載されるほどの伝説となったイグアナのミゲルくんを輩出し、感動的な逸話の発信源として日本中のお茶の間の涙を独占した。ミゲルくんの愛嬌ある仕草、そして軍部による悲劇的な死…
それらを乗り越えて新たなスターも続々と誕生した。枚挙に暇がないので名前は割愛させていただくが、彼ら英雄と、英雄を裏から支えた従業員たちの存在なしには戦後の高度経済成長を語ることもままならないだろう。
彼らは一時期、間違いなくニホンそのものを体現していた。そして「ひまわりイグアナ公園」も…
偏狭な人間は、この回想にノスタルジーによる美化作用が施されていると感じるかもしれない。思いたければ思うがいい。わたしは紛れもなく真実だけを述べている。その証拠に、これまでは全て「イグアナ公園なんでも史」(知的生き方文庫、980円)から引用した。
時代のせいである。それ以外に考えが及ばない。のぼるが園長に就任してから、愛憎関係のもつれで従業員に重傷者と発狂者が何人か出たが――これはのぼるの元服にも関係がある。うぶなのぼるが淫乱な団地妻に誘惑されたのが事の発端であった――それも「ひまわりイグアナ公園」の廃りには無関係なのだ。
もう子供たちは、小鹿やらチーターやら象やらキリンやらペンギンやらの小汚い畜生共には見向きもしない。そこにイグアナ如き馬鹿な爬虫類の割り込む隙があろうか(言い忘れたが、わたしはイグアナが大嫌いだ)。
そのくせ親たちは、
「あんなに可愛いイグアナちゃんたちを小さな檻に閉じ込めておくなんて!」
の大合唱。
時代が悪い…本当に。
「のぼるさん、イグアナが動いたって、客が来ないんです。命令したって無駄ですよ」
この勇敢な従業員は、のぼるの親父が経営する文具店に左遷された。
「のぼるさん、やはり流行を取り入れて、ロボット・イグアナを導入してはどうでしょう。餌代もかかりません」
このハイカラな従業員は、コンゴの奥地にスター候補生のスカウトに派遣された。
「のぼるさん、『マクドナルド』は当然『マック』ですよね」
この常識的な従業員は、十年後、口うるさい大人になった。
こうして「ひまわりイグアナ公園」はイグアナの数の方が多くなっていった。
のぼるは愚鈍な二十歳であったが、イグアナを愛する心は誰にも負けなかった。
成人式にはおいらのイグアナたちを市長に紹介してやるんだ、昔の同級生から一斉の拍手。その時イグアナたちは芸を披露する。ドモイの逆巻き宙返り。サマンサの指たて伏せ。カロゴンの菜の花体操。こいつはまだ出来ないがきっと教えてみせる。さぞかし感動的だろう。
次の日、のぼるは夢の実現の手助けを請うため、親父の文具店に足を運んだ。親父はかつて敏腕プロモーターとして九州を制覇した実績を持つ。
「あ、のぼるさん、ちゃーす」
左遷された従業員が愛想良く挨拶する。
「おう、久しぶりだな」
のぼるは上司風を吹かせてそう言うと、店の奥に進んだ。
親父は昼寝の最中だった。しかし、子煩悩な親父はのぼるの臭いを敏感に察知する能力も持つ(ちなみに従業員たちも、卵の腐ったような臭いでのぼるの接近を知ることが出来た)。親父はよっこらせと声に出して起き上がると、
「なんでいなんでい、のぼるじゃねえかい。いってえどうしたってんでい」
「パパ、『ひまわりイグアナ公園』がピンチなんだよ。おいら、どうしたらいいか…」
「てやんでい。泣き言なんて聞きたくねえやい! おらが何とかしてやるから、ちょっと待ってやがれ」
そうして親父は都会に繰り出し、イグアナ協会とコネクションを作り、三菱電機にロボット製作を依頼し、その間に従来のイグアナに歌手デビューさせ、歌えないイグアナは肉屋に売り飛ばし、ロボット・イグアナが完成すると歌手イグアナも肉屋に売り飛ばした。
世の中の構造は単純だ。何でも時代のせいにするのはよくない。「イグアナ」が「ロボ・イグ(商品名)」になっただけで、「ひまわりイグアナ公園」は全盛期の姿を取り戻した。とはいえ、「ロボ・イグ」の「おっす、おら、ロボ・イグ!」という愛らしい声によるものも大きかったが。コンゴに派遣された従業員はこの成功を見て「ロボ・イグ」の着想は自分なしにはありえなかった、と親父に金銭を要求したが、秘密裡に葬られた。
のぼるは激怒した。これでは成人式の夢どころではないじゃないか。のぼるは売り飛ばされたイグアナたちの消息を追ったが、分岐した彼らの運命の先には絶望が待っているだけだった。
のぼるは泣いたという。今まで、誰にも見せたことのない顔で…
「どうだあ、のぼる。すごいべえ。ハイテクっちゅーのは、偉いもんじゃのう」
時が経って、もはやのぼるに親父への憎悪はなかった。
「やっぱり親父はやり手だなあ」
本心からそう思った。のぼるに寛大な心が生まれた。もう、従業員との確執もなくなることだろう。
成人式は一週間後。のぼるは市長には自分ひとりで挨拶することに決めた。「ロボ・イグ」が拍手でのぼるを祝福した。
さて、事は諸君の想像より複雑で、冒頭からのぼるの元服やら日本国民の新たな嗜好やら色々と説明する物が順番待ちしているのだが、「ひまわりイグアナ公園」の歴史から記すことが最も効率的かつ詩的であろう。
「ひまわりイグアナ公園」は由緒あるテーマパークである。戦前戦中は小学校の道徳教科書にも掲載されるほどの伝説となったイグアナのミゲルくんを輩出し、感動的な逸話の発信源として日本中のお茶の間の涙を独占した。ミゲルくんの愛嬌ある仕草、そして軍部による悲劇的な死…
それらを乗り越えて新たなスターも続々と誕生した。枚挙に暇がないので名前は割愛させていただくが、彼ら英雄と、英雄を裏から支えた従業員たちの存在なしには戦後の高度経済成長を語ることもままならないだろう。
彼らは一時期、間違いなくニホンそのものを体現していた。そして「ひまわりイグアナ公園」も…
偏狭な人間は、この回想にノスタルジーによる美化作用が施されていると感じるかもしれない。思いたければ思うがいい。わたしは紛れもなく真実だけを述べている。その証拠に、これまでは全て「イグアナ公園なんでも史」(知的生き方文庫、980円)から引用した。
時代のせいである。それ以外に考えが及ばない。のぼるが園長に就任してから、愛憎関係のもつれで従業員に重傷者と発狂者が何人か出たが――これはのぼるの元服にも関係がある。うぶなのぼるが淫乱な団地妻に誘惑されたのが事の発端であった――それも「ひまわりイグアナ公園」の廃りには無関係なのだ。
もう子供たちは、小鹿やらチーターやら象やらキリンやらペンギンやらの小汚い畜生共には見向きもしない。そこにイグアナ如き馬鹿な爬虫類の割り込む隙があろうか(言い忘れたが、わたしはイグアナが大嫌いだ)。
そのくせ親たちは、
「あんなに可愛いイグアナちゃんたちを小さな檻に閉じ込めておくなんて!」
の大合唱。
時代が悪い…本当に。
「のぼるさん、イグアナが動いたって、客が来ないんです。命令したって無駄ですよ」
この勇敢な従業員は、のぼるの親父が経営する文具店に左遷された。
「のぼるさん、やはり流行を取り入れて、ロボット・イグアナを導入してはどうでしょう。餌代もかかりません」
このハイカラな従業員は、コンゴの奥地にスター候補生のスカウトに派遣された。
「のぼるさん、『マクドナルド』は当然『マック』ですよね」
この常識的な従業員は、十年後、口うるさい大人になった。
こうして「ひまわりイグアナ公園」はイグアナの数の方が多くなっていった。
のぼるは愚鈍な二十歳であったが、イグアナを愛する心は誰にも負けなかった。
成人式にはおいらのイグアナたちを市長に紹介してやるんだ、昔の同級生から一斉の拍手。その時イグアナたちは芸を披露する。ドモイの逆巻き宙返り。サマンサの指たて伏せ。カロゴンの菜の花体操。こいつはまだ出来ないがきっと教えてみせる。さぞかし感動的だろう。
次の日、のぼるは夢の実現の手助けを請うため、親父の文具店に足を運んだ。親父はかつて敏腕プロモーターとして九州を制覇した実績を持つ。
「あ、のぼるさん、ちゃーす」
左遷された従業員が愛想良く挨拶する。
「おう、久しぶりだな」
のぼるは上司風を吹かせてそう言うと、店の奥に進んだ。
親父は昼寝の最中だった。しかし、子煩悩な親父はのぼるの臭いを敏感に察知する能力も持つ(ちなみに従業員たちも、卵の腐ったような臭いでのぼるの接近を知ることが出来た)。親父はよっこらせと声に出して起き上がると、
「なんでいなんでい、のぼるじゃねえかい。いってえどうしたってんでい」
「パパ、『ひまわりイグアナ公園』がピンチなんだよ。おいら、どうしたらいいか…」
「てやんでい。泣き言なんて聞きたくねえやい! おらが何とかしてやるから、ちょっと待ってやがれ」
そうして親父は都会に繰り出し、イグアナ協会とコネクションを作り、三菱電機にロボット製作を依頼し、その間に従来のイグアナに歌手デビューさせ、歌えないイグアナは肉屋に売り飛ばし、ロボット・イグアナが完成すると歌手イグアナも肉屋に売り飛ばした。
世の中の構造は単純だ。何でも時代のせいにするのはよくない。「イグアナ」が「ロボ・イグ(商品名)」になっただけで、「ひまわりイグアナ公園」は全盛期の姿を取り戻した。とはいえ、「ロボ・イグ」の「おっす、おら、ロボ・イグ!」という愛らしい声によるものも大きかったが。コンゴに派遣された従業員はこの成功を見て「ロボ・イグ」の着想は自分なしにはありえなかった、と親父に金銭を要求したが、秘密裡に葬られた。
のぼるは激怒した。これでは成人式の夢どころではないじゃないか。のぼるは売り飛ばされたイグアナたちの消息を追ったが、分岐した彼らの運命の先には絶望が待っているだけだった。
のぼるは泣いたという。今まで、誰にも見せたことのない顔で…
「どうだあ、のぼる。すごいべえ。ハイテクっちゅーのは、偉いもんじゃのう」
時が経って、もはやのぼるに親父への憎悪はなかった。
「やっぱり親父はやり手だなあ」
本心からそう思った。のぼるに寛大な心が生まれた。もう、従業員との確執もなくなることだろう。
成人式は一週間後。のぼるは市長には自分ひとりで挨拶することに決めた。「ロボ・イグ」が拍手でのぼるを祝福した。
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