2015年7月12日日曜日

投資家養成アカデミー哲学科 入試小論文

【投資家は投資先企業に社会倫理を求めるべきか】

1,500字以内で、生意気に回答せよ。




プレノンの回答

 私個人の判断基準では、殺人を直接的に行う企業へは投資をしない。それ以外であれば、風俗業でも不倫マッチングサイトでも怪しい商品の訪問販売でもタバコでもギャンブルでも収益見通しと株価が魅力的であれば金を投じる。しかし、私個人の判断基準には当然何の意味もない。私は投資家を代表してなどいないし、そもそも、集団としての投資家を代表するような行動原理を持った個人など存在しえない。
 この世界が、クリーンで、善意に満ちており、全ての個人が全体最適のために行動できるのならば、あるいはこの問いかけは意味のあるものになるかもしれない。しかし誰もが知るように現実はそこまで単純ではない。いや、というよりは逆に単純なので複雑な個人の集合体に対しての全体最適は実現しないといった方が正確か。
 私が冒頭で拒絶したような暗殺企業であったとしても、素晴らしいリターンが期待できるのであれば、確実に投資家から資金は集まる。投資家とはそういうものだ。そこに人格は存在しない。儲かる事業に金を投じるようプログラミングされたロボット集団なのだと理解することが、このような設問を投げかける出題者や為政者にまず求められる感覚なのではないだろうか。その点で、この小論文問題は間が抜けていると指摘されるべきだろう。平和ボケと表現してもいい。資本主義の摂理として、金の動きの背後から倫理という抽象的な物語は常に排除される。ライオンがトムソンガゼルを食い殺すことに倫理が介在する余地がないのと同じように、資本主義は物語ではなくシステムだ。肉食獣は「そういうもの」だし、資本主義も「そういうもの」。
 ただし、投資は食物連鎖と違い、極めて社会的な営みなので、先述の「摂理」には「宿命」といった強い属性は与えられていない。人為的なシステムの中で作動する経済促進装置。だから別のシステムをアドオンすることでコントロール可能であることに留意したい。別のシステムとは、例えば法律だ。
 まず、暗殺企業のような社会システム全体に害を及ぼす可能性の高い企業については、会社法や金商法を持ち出さずとも、主要業務が刑法に抵触するため、お天道様のもとでは活躍できない。昨今話題になっているアシュリー・マディソンのような不倫マッチングサイトが公に資金を調達することに公序良俗の観点から政府が懸念を示すのであれば、取引所に働きかけるなどして上場審査で落とせば良い。上場せずとも投資家からの資金調達は可能であるので、それすら政府が許容しがたいのであれば、何らかの特別法によりそのような企業の存続を禁止すれば済む。
 このように倫理は投資ルールを変えうるが、投資における倫理の主役は投資家ではなく、政府や取引所という権力側にある。ではよりよい社会を望む、善良だが権力を持たない憐れな個人投資家は、自らを無力なシステムの歯車として何もかも諦めざるを得ないのか。それは断固として違う。倫理を規定するのが直接的には権力だとしても、公権力は世論を無視できない。むしろ、積極的に迎合しさえする。なぜなら、公権力もまた全体最適を実現するためにあつらえられたシステムであるからだ。
 個人投資家も世論の一部だ。というわけで、倫理を備えた個人投資家よ、存分に投資先企業へ社会倫理を求めようではないか。その行動は権力へ届き、法律や規制、あるいは緩和というアドオン・システムを通じて企業行動を変え、行動の主たる個人投資家にポジティブな効果を及ぼす可能性は、やはり残されている。

(1,440字)

0 件のコメント:

コメントを投稿