バブル辞典 -1637年 オランダ チューリップ・バブル-

 私は決して信じないが、一説によると世界で初めて起こったバブルと言われている。顛末をまとめよう。

 チューリップに限らず、球根は種子植物と違って短期間に増やすことが難しい。美しいチューリップはオランダの植物愛好家たちの間で愛でられ、品薄がゆえに常に高値がついていた。最初は愛好家による実需。
 そこに値上がり益目的の投機家が目をつけた。彼らはチューリップそのものには興味などない。だけど、プロ投機家が参戦したくらいでバブルは起こらない。それだけなら、ピカソの絵画を資産価値に着目して買うような行為で、ある程度は健全な投資行為と言えた。
 熱狂は貧しい一般庶民が投機に参戦したことで始まる。球根とピカソの絵画との違いは、高値とは言っても所詮は植物、つまりコモディティに過ぎないので、彼らの手持ち資金でも投機への参加資格が与えられたことだった。誰もかれもが一獲千金を夢見て球根を買いあさった。そして実際に転売して金を儲けた。その噂は口々に広まって、参加希望者は増大した。結果、価格は当然のように急上昇する。もはや愛好家が欲する希少な品種は庶民の手の届かない価格に上昇してしまった。そこで庶民は、愛好家は見向きもしない、ありふれたチューリップ種で新たに投機に参加した。株で言えばボロ株に相当するこれらの品種は、それでも熱狂によって価格が高騰した。この段階がバブル? いや、まだだ。
 とはいえ、この時点でもはや球根の価格はファンダメンタルズからは完全に乖離していた。上がるから買う。買うから上がる。しかし球根の現物は簡単に増やせないので、その数が投機需要に比して圧倒的に不足していた。そこで自然発生的に考案されたのが先物取引だった。
「今は手元に球根がないが、来年の4月には栽培によって入手できるので、その時に渡す」
「なら俺はそれをこの値段で買う」
 現物も現金も必要としない信用取引。取引所は居酒屋だった。驚くべきことに、400年も前にデリバティブの手法が駆使されていたことになる。

 この後の展開は語るまでもない。実需が伴わない価格高騰は、いつか必ず実需が要求する水準に訂正される。かくして、球根価格は100分の1以下にまで暴落した。デリバティブによって取引額が水増しされていたので、にわか投機家が被った損失は、単に投資資金が100分の1になったという生易しいものではなかった。反故にされる約束。姿をくらます債務者。居酒屋での押し問答。多分、流血沙汰も起きたのだろう。

 しかし、まだ広範な地域を網羅する金融システムなど整備されていない時代だった。所詮は居酒屋取引所から発生した、ローカルなバブルだった。チューリップ・バブルの崩壊は、少数の成金と破産者を生み出しただけで、オランダ経済にほとんど影響を与えなかったという。しかしこのバブルは、金融バブルと呼ぶにふさわしいバブルの主要要素が既に散りばめられている。

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