株式投資の基本は配当にあり
他ブログにおける配当に関する考察をご紹介。
思考実験:永久に配当しない会社の株価はいくらか?
私も同様の内容を構想していたが、先を越された上に、多分、私の予想アウトプットより真面目で、シミュレーション前提が細かく設定され、痒いところに手が行き届いている。
理論株価の計算方法として代表的なものにディスカウンテッド・キャッシュフロー法(DCF法)があり、配当割引法(Dividend Discount Model : DDM)はその一種だ。DDMは将来株主が受け取る配当金の総和を割引率で現在価値に換算したものが株価だという理論であり、その前提からすると、永久に配当しない会社の株価はゼロだということになる。同じ利益をあげていても配当金額など配当性向次第でいかようにもなる。そんなものを理論株価の算定基準にするなど、それこそ理論的に間違っている、というような声を霊感で聞いたことがあるような気がする。その声の主張は果たして正しいのだろうか。
ところで、配当はしばしば誤解される。
ある人々は配当を軽視し、成長こそがすべてであると言ってのける。
ある人々は配当を過信し、配当利回り優先でポートフォリオを組む。
株主資本主義に照らした場合の真実はおそらくこうだ。株式投資によってもたらされる利益は全て配当と結び付いている。
企業が利益成長してなぜ株価が上がるのか。それは将来の配当が増額されるという期待が投資家に伝播するためである。
自社株買いでなぜ株価が上がるのか。流通株式数が減少することにより同じ利益でも将来の増配余地が増すためである。
保有現預金が時価総額を上回る企業になぜ投資妙味があるか。企業がいつかその無駄に貯まったキャッシュを配当してくれると期待できるからである。
成長株もネットネット株も、全ての株式の価格は未来の配当と紐付いている。
配当という還元システムが存在しなければ、いくら利益が成長しようが、たくさん現金を持っていようが、投資家が出資したお金は会社から永久に引き出されることがない。配当がなければ手元にある企業の保有権は無価値だ。無価値な保有権を買おうとする者はいないので、投資家はキャピタルゲインも得られない。この事実を正確に把握して初めて投資のスタート地点に立てると私は考えている。
私がたまに日本市場に苦言を呈したくなるのは、経営者と投資家の多くがこの基本前提を理解せずに経営し、株に値付けしていると思えてならないからだ。使い道もない現預金をひたすら積み増して安全性が増したと胸を張る経営者。一株当たり純資産(BPS)が積みあがって企業価値が増すのは、その増えた投下資本や安全域で攻めの経営を行い、将来の増配余地が増す場合に限られる。だが、ネットネット株投資家は単にBPSが積みあがりさえすれば満足なので何も言わない。その他にも「記念配当」という理解しがたい慣習がある。配当とは自社の成長ステージや財務状況に照らして、現時点で株主に還元して投資家自身にその金を運用してもらうのがベストなのか、それとも自社で再投資し将来の増配余地を高めるのがベストなのかを考えて決められるべきものであるのに、創業○○周年という非論理的な理由で安易に増配し、いかにも感謝しろと言わんばかりの顔をしている経営者は財務戦略を何も持っていないと宣言しているに等しい。ところが記念配についてもその論理的な愚かさを指摘する投資家をあまりみかけない。もらえれば何でもいいということなのか、それとも馬鹿馬鹿しいことは日常茶飯事だから指摘する気力すらなくなってしまったのか。配当について、もっと真剣に考えるべきだ。
企業とは究極的に配当する器である。株主資本主義の世界観において、経営者は将来にわたる配当の割引現在価値が最大になるタイミングと額をもって配当を行う使命を帯びている。今すぐ配当すれば成長が犠牲となり将来の配当余地が小さくなるが、割引されずに済むので配当の現在価値が高くなる。自社の事業成長と投資効率に自信があるのなら今の配当を犠牲にして将来の配当余地確保のために再投資すれば良い。
このように配当を基準として考えると、企業の財務戦略が投資家にどのような結果をもたらすのかがイメージしやすいと思う。そしてイメージできたら財務戦略を重視して欲しいと私は願っている。同じことを繰り返し願わずにはいられないほど、財務戦略を重視する投資家が少なく、それが企業経営に影響を及ぼしているのだから。(ここで苦い記憶が甦る。棚卸資産に充当するという短期目的のために、8%の希薄化増資を行った会社があったっけね)
思考実験:永久に配当しない会社の株価はいくらか?
私も同様の内容を構想していたが、先を越された上に、多分、私の予想アウトプットより真面目で、シミュレーション前提が細かく設定され、痒いところに手が行き届いている。
理論株価の計算方法として代表的なものにディスカウンテッド・キャッシュフロー法(DCF法)があり、配当割引法(Dividend Discount Model : DDM)はその一種だ。DDMは将来株主が受け取る配当金の総和を割引率で現在価値に換算したものが株価だという理論であり、その前提からすると、永久に配当しない会社の株価はゼロだということになる。同じ利益をあげていても配当金額など配当性向次第でいかようにもなる。そんなものを理論株価の算定基準にするなど、それこそ理論的に間違っている、というような声を霊感で聞いたことがあるような気がする。その声の主張は果たして正しいのだろうか。
ところで、配当はしばしば誤解される。
ある人々は配当を軽視し、成長こそがすべてであると言ってのける。
ある人々は配当を過信し、配当利回り優先でポートフォリオを組む。
株主資本主義に照らした場合の真実はおそらくこうだ。株式投資によってもたらされる利益は全て配当と結び付いている。
企業が利益成長してなぜ株価が上がるのか。それは将来の配当が増額されるという期待が投資家に伝播するためである。
自社株買いでなぜ株価が上がるのか。流通株式数が減少することにより同じ利益でも将来の増配余地が増すためである。
保有現預金が時価総額を上回る企業になぜ投資妙味があるか。企業がいつかその無駄に貯まったキャッシュを配当してくれると期待できるからである。
成長株もネットネット株も、全ての株式の価格は未来の配当と紐付いている。
配当という還元システムが存在しなければ、いくら利益が成長しようが、たくさん現金を持っていようが、投資家が出資したお金は会社から永久に引き出されることがない。配当がなければ手元にある企業の保有権は無価値だ。無価値な保有権を買おうとする者はいないので、投資家はキャピタルゲインも得られない。この事実を正確に把握して初めて投資のスタート地点に立てると私は考えている。
私がたまに日本市場に苦言を呈したくなるのは、経営者と投資家の多くがこの基本前提を理解せずに経営し、株に値付けしていると思えてならないからだ。使い道もない現預金をひたすら積み増して安全性が増したと胸を張る経営者。一株当たり純資産(BPS)が積みあがって企業価値が増すのは、その増えた投下資本や安全域で攻めの経営を行い、将来の増配余地が増す場合に限られる。だが、ネットネット株投資家は単にBPSが積みあがりさえすれば満足なので何も言わない。その他にも「記念配当」という理解しがたい慣習がある。配当とは自社の成長ステージや財務状況に照らして、現時点で株主に還元して投資家自身にその金を運用してもらうのがベストなのか、それとも自社で再投資し将来の増配余地を高めるのがベストなのかを考えて決められるべきものであるのに、創業○○周年という非論理的な理由で安易に増配し、いかにも感謝しろと言わんばかりの顔をしている経営者は財務戦略を何も持っていないと宣言しているに等しい。ところが記念配についてもその論理的な愚かさを指摘する投資家をあまりみかけない。もらえれば何でもいいということなのか、それとも馬鹿馬鹿しいことは日常茶飯事だから指摘する気力すらなくなってしまったのか。配当について、もっと真剣に考えるべきだ。
企業とは究極的に配当する器である。株主資本主義の世界観において、経営者は将来にわたる配当の割引現在価値が最大になるタイミングと額をもって配当を行う使命を帯びている。今すぐ配当すれば成長が犠牲となり将来の配当余地が小さくなるが、割引されずに済むので配当の現在価値が高くなる。自社の事業成長と投資効率に自信があるのなら今の配当を犠牲にして将来の配当余地確保のために再投資すれば良い。
このように配当を基準として考えると、企業の財務戦略が投資家にどのような結果をもたらすのかがイメージしやすいと思う。そしてイメージできたら財務戦略を重視して欲しいと私は願っている。同じことを繰り返し願わずにはいられないほど、財務戦略を重視する投資家が少なく、それが企業経営に影響を及ぼしているのだから。(ここで苦い記憶が甦る。棚卸資産に充当するという短期目的のために、8%の希薄化増資を行った会社があったっけね)
ご紹介ありがとうございます。僕もプレノンさんのブログに多大な啓蒙を受けたうちの一人ですので、
返信削除僕が伝えられた以上のことをこのように説明くださり嬉しい限りです。
こちらこそ面白い記事をありがとうございました。私のブログも読んでいただいていたと知り、何だか嬉しいです。
削除同じ経理畑ブロガーとしてお互い頑張りましょう。
リンク先の応用問題がとても良いですね。
返信削除あと、確かに記念配は意味が分かりません。
応用問題2でいうと、低PER低還元キャッシュリッチの企業は株価が下がってもウキウキ感が全くないんですよね。株価が下がって嬉しいのはその下がった株価で再投資できる条件がある場合に限られますから。いつ上がるかもわからず、複利の効果すら味方につけられないネットネット株投資家は、数ある投資手法の中でもかなり性格を選ぶ類のものだと思っています。
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