「この件が片付いたら一発殴らせろ」を会計処理する
こういう台詞、よく見たんだ。爽やかで非暴力主義な優等生だった私だけれど、中高生の頃は結構ヤンキーマンガを読んでた。そうすると、ヤンキー同士の複雑な友情を表現するためなんだろう、主人公格あたりの登場人物がタイトルのようなセリフを言うんだな。女関係とかで色々あったけど、殴り殴られてもやもやをリセット。その後は今まで通り仲良くやっていこうぜ、みたいな。当時はそこに陳腐でおセンチな感傷しか見出せなかったのだが、今や私は世界を数値に換算するのが得意な経理マンとなったわけなので、どうやらこういう無償の暴力行為にも会計処理を適用できるような気がふとしてきたのだ。ご覧あそばせ。
~実践~
会計処理に落とし込む作業は、殴る主体(以後、"稲葉"と呼ぶ)と殴られる客体(以後、"加藤"と呼ぶ)にどのような債権・債務、資産・負債、利益・損失が生じるかを明らかにすることから始まる。複式簿記のベースはバランスシートにあり、バランスシートは上記に列挙された要素から構成されるからだ。
フェーズ1 <合意形成>
稲葉が「この件が終わったら一発殴らせろ」と加藤に向かって言い、加藤がそれを承諾する。契約は口頭であっても法的に有効だから、ここで二者間で合意が形成される。この合意を以後、"当該契約"と呼ぶ。
(稲葉の視点)
稲葉はなぜこんなことを言ったのか。それは稲葉にとって加藤を殴ることに何らかの利益があるからだ。稲葉は当該契約によって将来の利益を予約したことになる。
では、現時点でバランスシートに何らかの資産を認識すべきだろうか。
いや、まだ早い。というのも、「この件」が無事終わって、殴るという契約行為が履行される可能性についてまだ不確定要素が大きいからだ。会計処理は特に利益面に対して保守主義の原則を採っており、発生確率が相当程度高いと見なされなければ収益計上できない。「この件」が解決まで時間を要する複雑な事象であるからこそ、加藤も殴られるという不利益に対して合意したのだろう。だから、当該契約が合意された時点では、稲葉側で何の会計処理もすべきではないと考える。
なお、「この件」の解決を以後、"トリガー事象"と呼ぶ。
(加藤の視点)
加藤はトリガー事象によって稲葉に殴られるという偶発債務を負うことになった。しかし、発生可能性が低い現時点においてはバランスシートの負債に計上せず、有価証券報告書の注記欄に偶発債務の存在を記載するにとどめるべきだと考える。
フェーズ2 <「この件」の進展>
二人の努力か天の助けか、厄介で複雑な問題は整理されつつあり、どうやらトリガー事象の発生はほぼ間違いない状況に漕ぎ付けたようだ。解決に至るまでの進捗率を見積もったところ、現在60%のステージにあることが分かった。
(稲葉の視点)
トリガー事象の生じる蓋然性が高まったことにより、稲葉にとって殴るという権利行使が現実のものとして見えてきた。この段階になると、会計基準も稲葉に収益計上を容認する。ただし、あくまで進行度合いに見合った分しか認められない。現在の進捗率は60%なので、殴るという行為によって得られる利益の60%を計上しよう。
しかし待て。会計処理には金額が必要だ。稲葉の暴力行為にはいくらの金銭価値がつくのだろうか。
卑怯かもしれないが、ここでヤンキーマンガらしからぬ設定を後付けさせて欲しい。
当該契約には殴る殴られるという内容のほかに、もう一つオプションが含まれていた。それは双方の合意があれば、10万円の金銭の受け渡しによって暴力行為に代えられるというものだった。もちろん稲葉は加藤を殴りたくて仕方がないのでオプション行使に合意するつもりはないのだが、とりあえず殴る行為が10万円と等価であるという評価を持ち込むことが可能となった。
さて、会計処理に進もう。稲葉は10万円の60%を収益認識する。
未履行権利 (資産増) / 雑収益 (利益剰余金増) 6万円
(加藤の視点)
フェーズ1では偶発債務に過ぎなかった契約行為がほとんど現実のものとなりつつあり、加藤側でも負債をオンバランスする必要性が生じた。加藤もオプション行使額である10万円をベースとした金額を認識すべきなのだろうか。私が会計士なら異なる見解を出す。
稲葉へのヒアリングにより、彼にはオプションを選択する意思がないことがはっきりしている(稲葉側の会計士も稲葉にヒアリングすべきだったね!)。そうなると加藤に適用すべき損失額は、本当に殴られた時に生じると見込まれる額でなければならない。稲葉は腕っぷしがめっぽう強く、今まで何人もの喧嘩相手を病院送りにしてきた。その数は統計サンプルとして十分なものだった。治療費の中央値は3万円だった。よって、加藤は見込まれる治療費3万円について損失を引き当てなければならない。
治療費 (利益剰余金減) / 治療費引当金(負債増) 3万円
ここで稲葉と違って進捗率の60%を用いず、3万円全額を損失引き当てすることを要求するのは、投資家などの利害関係者に対して悪いことは早めに見せるという保守主義の原則が適用されるからだ。
無一文の加藤は、この時点で資産ゼロ、負債3万円、純資産マイナス3万円の債務超過状態。
フェーズ3 <トリガー事象の発生>
残りの40%が無事進捗し、「この件」が解決した。
(稲葉の視点)
未履行権利 (資産増) / 雑収益 (利益剰余金増) 4万円
(加藤の視点)
会計処理なし(フェーズ2にて全額損失引当済み)
フェーズ4 <契約履行>
トリガー事象が発生したので、稲葉は事前の決意通りオプション行使に合意せず、加藤を思い切り殴った。
(稲葉の視点)
フェーズ2,3における収益認識はオプション行使を前提としていた。暴力とは遠い世界で育ってきた会計士は、まさか稲葉が金銭的に得のない暴力行為を選択するとは夢にも思わなかったからだ。ここで過去の収益をキャンセルする必要に迫られる。
過年度損益修正損失(利益剰余金減) / 未履行権利(資産減) 10万円
(加藤の視点)
稲葉が本気で殴ったおかげで治療費は引当金3万円を超え、5万円もかかることになった。加藤には手持ちのお金がないので治療費は友人に借りた。
治療費引当金(負債減) 3万円 / 借入金(負債増) 5万円
追加損失(利益剰余金減) 2万円
加藤のバランスシートは、資産ゼロ、負債5万円、純資産マイナス5万円の債務超過状態。
しかし、稲葉との友情という無形資産を手に入れた!!(Pricelessなので会計処理はなし)
~実践~
会計処理に落とし込む作業は、殴る主体(以後、"稲葉"と呼ぶ)と殴られる客体(以後、"加藤"と呼ぶ)にどのような債権・債務、資産・負債、利益・損失が生じるかを明らかにすることから始まる。複式簿記のベースはバランスシートにあり、バランスシートは上記に列挙された要素から構成されるからだ。
フェーズ1 <合意形成>
稲葉が「この件が終わったら一発殴らせろ」と加藤に向かって言い、加藤がそれを承諾する。契約は口頭であっても法的に有効だから、ここで二者間で合意が形成される。この合意を以後、"当該契約"と呼ぶ。
(稲葉の視点)
稲葉はなぜこんなことを言ったのか。それは稲葉にとって加藤を殴ることに何らかの利益があるからだ。稲葉は当該契約によって将来の利益を予約したことになる。
では、現時点でバランスシートに何らかの資産を認識すべきだろうか。
いや、まだ早い。というのも、「この件」が無事終わって、殴るという契約行為が履行される可能性についてまだ不確定要素が大きいからだ。会計処理は特に利益面に対して保守主義の原則を採っており、発生確率が相当程度高いと見なされなければ収益計上できない。「この件」が解決まで時間を要する複雑な事象であるからこそ、加藤も殴られるという不利益に対して合意したのだろう。だから、当該契約が合意された時点では、稲葉側で何の会計処理もすべきではないと考える。
なお、「この件」の解決を以後、"トリガー事象"と呼ぶ。
(加藤の視点)
加藤はトリガー事象によって稲葉に殴られるという偶発債務を負うことになった。しかし、発生可能性が低い現時点においてはバランスシートの負債に計上せず、有価証券報告書の注記欄に偶発債務の存在を記載するにとどめるべきだと考える。
フェーズ2 <「この件」の進展>
二人の努力か天の助けか、厄介で複雑な問題は整理されつつあり、どうやらトリガー事象の発生はほぼ間違いない状況に漕ぎ付けたようだ。解決に至るまでの進捗率を見積もったところ、現在60%のステージにあることが分かった。
(稲葉の視点)
トリガー事象の生じる蓋然性が高まったことにより、稲葉にとって殴るという権利行使が現実のものとして見えてきた。この段階になると、会計基準も稲葉に収益計上を容認する。ただし、あくまで進行度合いに見合った分しか認められない。現在の進捗率は60%なので、殴るという行為によって得られる利益の60%を計上しよう。
しかし待て。会計処理には金額が必要だ。稲葉の暴力行為にはいくらの金銭価値がつくのだろうか。
卑怯かもしれないが、ここでヤンキーマンガらしからぬ設定を後付けさせて欲しい。
当該契約には殴る殴られるという内容のほかに、もう一つオプションが含まれていた。それは双方の合意があれば、10万円の金銭の受け渡しによって暴力行為に代えられるというものだった。もちろん稲葉は加藤を殴りたくて仕方がないのでオプション行使に合意するつもりはないのだが、とりあえず殴る行為が10万円と等価であるという評価を持ち込むことが可能となった。
さて、会計処理に進もう。稲葉は10万円の60%を収益認識する。
未履行権利 (資産増) / 雑収益 (利益剰余金増) 6万円
(加藤の視点)
フェーズ1では偶発債務に過ぎなかった契約行為がほとんど現実のものとなりつつあり、加藤側でも負債をオンバランスする必要性が生じた。加藤もオプション行使額である10万円をベースとした金額を認識すべきなのだろうか。私が会計士なら異なる見解を出す。
稲葉へのヒアリングにより、彼にはオプションを選択する意思がないことがはっきりしている(稲葉側の会計士も稲葉にヒアリングすべきだったね!)。そうなると加藤に適用すべき損失額は、本当に殴られた時に生じると見込まれる額でなければならない。稲葉は腕っぷしがめっぽう強く、今まで何人もの喧嘩相手を病院送りにしてきた。その数は統計サンプルとして十分なものだった。治療費の中央値は3万円だった。よって、加藤は見込まれる治療費3万円について損失を引き当てなければならない。
治療費 (利益剰余金減) / 治療費引当金(負債増) 3万円
ここで稲葉と違って進捗率の60%を用いず、3万円全額を損失引き当てすることを要求するのは、投資家などの利害関係者に対して悪いことは早めに見せるという保守主義の原則が適用されるからだ。
無一文の加藤は、この時点で資産ゼロ、負債3万円、純資産マイナス3万円の債務超過状態。
フェーズ3 <トリガー事象の発生>
残りの40%が無事進捗し、「この件」が解決した。
(稲葉の視点)
未履行権利 (資産増) / 雑収益 (利益剰余金増) 4万円
(加藤の視点)
会計処理なし(フェーズ2にて全額損失引当済み)
フェーズ4 <契約履行>
トリガー事象が発生したので、稲葉は事前の決意通りオプション行使に合意せず、加藤を思い切り殴った。
(稲葉の視点)
フェーズ2,3における収益認識はオプション行使を前提としていた。暴力とは遠い世界で育ってきた会計士は、まさか稲葉が金銭的に得のない暴力行為を選択するとは夢にも思わなかったからだ。ここで過去の収益をキャンセルする必要に迫られる。
過年度損益修正損失(利益剰余金減) / 未履行権利(資産減) 10万円
(加藤の視点)
稲葉が本気で殴ったおかげで治療費は引当金3万円を超え、5万円もかかることになった。加藤には手持ちのお金がないので治療費は友人に借りた。
治療費引当金(負債減) 3万円 / 借入金(負債増) 5万円
追加損失(利益剰余金減) 2万円
加藤のバランスシートは、資産ゼロ、負債5万円、純資産マイナス5万円の債務超過状態。
しかし、稲葉との友情という無形資産を手に入れた!!(Pricelessなので会計処理はなし)
コメント
コメントを投稿