2016年1月10日日曜日

脳トレ -どこでもドアが発明されたらどうなる?-

「どこでもドア」が持つ最も重要な経済学的な意味合いは何か。それは輸送コストがゼロになることだ。
 考えてみよう。今、世界が「輸送」という行為に、人や物資など、どれだけの経済資源を費やしているか。

 どこでもドアにより、旅客機も、自動車も、鉄道も、そしてそれらの燃料となる石油産業もほとんど必要なくなる。鉄鋼、硝子、非鉄金属業も自動車産業がなくなれば今の規模を維持できない。これらの業界は周辺の材料・部品産業まで含めると、世界中で数千兆円の企業価値があることはほぼ間違いない(もしかしたら、"兆"という単位では足りないかもしれない)
 ことは製造業だけでなく、サービス業にも波及する。FedExやヤマト運輸などの運送業者はもちろんのこと、ガソリンスタンド、輸送機器整備業、教習所などの免許関連産業はなくなる。建設現場での物資の上げ下げ効率化で建設作業員の必要数が減る。電力消費量も激減する。ドル箱の自動車保険がなくなる保険業界も小ぢんまりとした規模になる。貸出先がなくなって預金がジャブジャブになる銀行は再編を余儀なくされたうえ、場合によっては預金金利をマイナスにしなければ立ち行かなくなる。影響の大きさを考えただけで目がくらみそうになる。

 作品の中で何気なく使われている「どこでもドア」は、数億から数十億人単位の仕事を奪いかねない変革を社会にもたらす。膨大という言葉すら生易しい余剰人員と、余剰設備が経済を蝕み、世界は有史以来の不況に真っ逆さまとなる。
 そんなわけで「どこでもドア」の発明者は、発明を喜ぶ前にまず自分の命が消されないことを祈るべきだ。奇跡のような幸運が重なってこの発明が世の中に発表された時、世界はあらゆる意味で小さくなる。距離も、経済規模も。
 不必要になった産業の余剰人員は、新たに生まれる産業が吸収するはずだという楽観的な見方もあるかもしれない。だが人類がそんなに簡単に急激なパラダイムシフトに対応できるだろうか。移動・配送時間の削減は余暇時間となり、娯楽産業は急成長するはずだが、雇用効果はたかだか知れている。世界人口を維持しつつ、失業率がどこでもドア発明前までに戻る姿を私は到底想像できない。かといって、大量の餓死者が発生して人口が急減するとも思わない。では効率化によって経済規模が急縮小する世界で、人口はどう維持されるか。最終的には、壮大な福祉社会への移行が実現するのではないか。その過程において、私は次のステップを予想する。


【フェーズ1】
雇用創出のため、まったく生産性のない新たな産業が捏造される。コピー取りだけを代行するような業種だ。しかし、もちろん賃金は低くならざるを得ず、新産業の従事者はその仕事だけでは生活できない。

【フェーズ2】
輸送サービスを利用する側だった産業のコストが劇的に削減される結果、関連企業の利益が天文学的な数字に達する。アマゾンなどの小売り企業がその代表格だ。もちろん大部分は最終販売価格に反映され、人々が生活するために必要なお金は減少する。言い換えれば、ある程度貧乏でも、今より快適に生きていけるようになる。ただし、フェーズ1における新産業従事者の低賃金で賄えるほどではない。

【フェーズ3】
輸送コスト減少の恩恵を消費者に還元してもなお、輸送サービス利用企業には莫大な額が残る。各国政府は法人税課税を強化し、貧困にあえぐ新産業従事者や失業者の公的補助に本腰を入れる。かくして、一部の企業と人員が、実質的に残り大多数の生活を支える福祉社会が実現する。


この想像世界はあまりユートピアのような感じがしない。
「無駄も経済のうち」と言うが、無駄が、少なくとも人間社会にとって良い効果をもたらしていることを、このシミュレーションは考えさせてくれる。

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