株価はすぐに織り込めない


2010年、グーグルがやや感傷的な理由を掲げて中国から撤退した日、ある企業の将来像は誰の目から見ても明らかに一変した。
 その企業とは、言うまでもなく中国の検索大手バイドゥだ。
 当時、グーグルの中国国内シェアは30%ほどであり、すでにトップシェアだったバイドゥの業績が直ちに急角度で上昇する状況ではなかったが、何と言ってもあのグーグルが自ら競合であることを放棄してくれるというのだ。厄介極まりない米国テック大手企業との競争激化の可能性がなくなったのだから、伸び続ける検索市場において当社の未来が前途洋洋であることは約束されたも同然だった。

 もちろん、バイドゥの株価は2010年中、著しい上昇を見せた。

2010年のバイドゥ(ADR)株価推移



 年初$40の株価が年末には$100になった。掛け値なしに素晴らしいリターンを投資家は享受したし、疑いなくグーグル撤退の影響が株価に反映された結果だと言える。
 しかし、この結果はむしろ市場に大きな非効率性が存在していることを意味してもいる。
 あの右肩上がりのチャートを見るがいい。バイドゥの潜在的な企業価値は、グーグルの中国撤退が決定したその「瞬間」に倍増では足りないほど増加していたはずで、市場が本当に効率的ならこんな綺麗な線形を描くはずはなく、一夜にして株価は数百%急騰していた。
 そうならなかったのは、市場が本日の株価を決める際、前日の終値が強力なアンカー効果として働いているためと思われる。アンカリングとは、先行して提示される数値(アンカー)が判断を歪め、たとえその数値が文脈と何の関係のないものであっても、後の判断数値がアンカーに近づいてしまう現象を言う。バイドゥの件において、グーグル撤退決定前夜の終値はそれ以降のバイドゥにとってほとんど何の関係もないと言ってよいものであるにもかかわらず、市場はゼロベースでバイドゥの企業価値を算定し直すことなどはせず、こう考えてしまう。
「昨日の株価は$40か。さて、グーグル撤退の影響を何%織り込むのが妥当だろうか。」

 前日比何%が妥当かという思考を出発点としている限り、このような大型株がいきなり2倍や3倍になるというような大胆な発想は出てこない。たいへん人間的な心理で微笑ましいくらいだが、思い返してみるまでもなく、株式市場とは人間心理の集合体なのだ。市場の効率性を無条件で信じる世間知らずは株式市場に存在しないだろうが、効率性の度合いというのは我々が想像しているよりもっとショボイのかもしれない。


 偉そうに語っていても、私は当時バイドゥ株を購入できなかった。ここで述べたことは当時においても頭では理解できていたものの、不幸なことに未来よりも過去実績を強く信じ、投資行動に反映させる投資家だったのだ。今はもうそのような四角四面な態度と決別できた。これを「成長」と呼ぶことくらいの贅沢は許されていいはずだろう。


冒頭画像
『デス・プルーフ』クエンティン・タランティーノ

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