2017年の振り返りと2018年の抱負

 明るい未来しか見ていない私にとって、たとえ1年であっても過去を振り返るという作業は最も苦手とするものなのに、いったい誰だ、こんな企画を考えたのは。腹が立ったから小学生並みの感想文を書き殴ってやる。

「長年持ってたIBMを売却したら、思いのほか気持ちが良かったです。」

「主力銘柄の一つだったフット・ロッカーが暴落したけど、こういう刺激は僕の投資スタンスの中では定期的に必要だと思いました。」

「ほぼ4銘柄で回していたプレノンファンド・ジャパンプログラムに限って言えば年初来パフォーマンスは100%超に達し、好調なマーケットと銘柄集中が織りなす運の力は時に投資家を狂わせると再認識しました。」

「昨年末に保有銘柄の割安度を占ってみたけど、今年の株価上昇率とはまるで関係なくて、空しくなりました。」


 感想ではなく事実を述べると、日本株、シグナ、マスターカード、ボーイングなどの活躍により、単独でポートフォリオにマイナス6%もの打撃を与えたフット・ロッカーの暴落をカバーし、S&P500指数並みで終われそうだ。米国株投資をやっている者なら誰もが知っている通りS&P500の強さといったらなく、税金や手数料を支払った上で中期的に指数に打ち勝つのは至難の業というほかない。
 だから素直にインデックス買っておけという主張には首肯せざるを得ないところだが、生粋のインデックス投資家は、個別株投資によって培われるビジネス造詣の深まりが、仕事や張り合いの面などで投資家の人生そのものを豊かにするという途方もない付随効果を過小評価しすぎているように思う。
 気になった個別株の財務諸表を読み、ビジネスモデルを調べ、競合に注意し、その上でバリュエーションを考え、売買し、予期せぬ成長、失速、不祥事が起きて予想が当たったり外れたりする。それらがもたらす学びは実体経済と直接結び付いており、せいぜい「先進国株」だとか「ヘルスケア株」といったラベルしか張られていないインデックス投資では代替が効かない。私が保有する知識は自らの興味に従って習得してきたものだが、その領域は自身が米国株の個別投資家であることに相当程度依存している。

 個人的な意見を言うならば、インデックス投資はたとえ株式を原資産としたインデックスを買っているとしても、株式投資とは似て非なるものだ。だから悪いというわけではなく、ただ単に違う。あらゆる議論はそもそも両者の興味や立ち位置が根底から違っている可能性を強く認識しなければ何も始まらないのではないか。(凡庸なる書き手は、ここで"そう思う今日この頃であった"と紋切型な文章を付け加える)


 では来年の話をしよう。
 ブログはやはり続けていきたい。これが抱負になり得るのは、楽ではないからだ。更新は平均して5日に1度と決して速いペースではないにもかかわらず、いつもネタと気力の払底の予感と戦っている。広告を貼れば毎日更新する意欲が湧いてくるのだろうか。
 逆だ。このブログだって以前は少しばかりアドセンスを貼っていた。しかし大したことのない金額のわりに毎日の収入金額が気になって、脳のキャパシティが無駄に吸い取られるだけだった。
 私の能力と美学の方向性は、ブログでページビューを稼いだり広告収入を得るということに最適化されておらず、そこで奮闘しても何の悦びもないブラックな低賃金労働が待っているだけだろう。能力という有限のリソースは、それが最も輝く場所に配分されなければならない。ブログで稼ぐのはそういった才能を持った者が存分にやってもらいたい。
 自らの立ち位置を再認識し、今年も優秀な給与所得者として地道に稼いで証券口座へ入金し、株を買う。次年度の抱負もこれ以外にない。

コメント

  1. >~個別株投資によって培われるビジネス造詣の深まりが、仕事や張り合いの面などで投資家の人生そのものを豊かにするという途方もない付随効果を過小評価しすぎているように思う。

    この言葉はいいですね。読みながら何度頷いたかわかりません。
    この感覚を言葉で他人に説明するのは難しいですが、これこそが個別株投資の醍醐味だと思います。

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    1. 結局のところ、ある種の投資家は単に資産運用のためだけに株式投資をやっているわけじゃないのだと思います。そこに具体的なビジネスが実在しているということ自体が楽しいので、インデックス投資ではその実在感がなくなってしまうんですよね。

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