祝! 20万PV到達 (♡ >ω< ♡)ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。
今、「女子力高い」「顔文字」という検索ワードで出てきたサイトから拝借してきた顔文字でタイトルを作ってみたものの、ラップトップのディスプレイにはいつも通り無表情な男の顔が反射されているだけだ。何しろここは"プレノンの株式投資"なのだから。
さて、ブログ開始から1年8ヵ月で10万PV、そこから9ヵ月で20万PVとなった。人気ブログには程遠く、かといって過疎というほどでもなく、ほどほどの存在感で個人投資家ブログの片隅に居場所を構築しつつある。路地裏のこだわり蕎麦屋みたいな投資ブログを読み続けてくださる方々には感謝の念しかない。このブログは何より私自身を洗練させてくれているのだが、読者の皆様にとってもそうあってくれればこれ以上ない喜びだ。
決して減ることはない累計PV数よりも個人的に気になっているのは、伸びが止まったり、減ることもありうる月間PVだ。この数値が、ブログ開始前に予想していた上限である月間15,000にあと少しで到達する。SEOなど全く意識せず、ほとんどの記事において小見出しすらつけず、儲かる銘柄が書いてあるわけでもない、文章だらけの投資ブログが集められる注目の上限はそのくらいであろうと予想した、そこに近づいている。PV数の伸びが本当に止まるとしてもそれは悲観することではないが、ここまでやったのだから、路地裏の頑固蕎麦屋ではなく、投資家界隈における当ブログの存在感をもう少し増していこうという野心も芽生えている。もちろん、やれることといえば今までと同じトーンで、質を落とさず更新し続けることだけ。つまり私が変わるのではなく、世間の認識が変わることによってブログの存在感が増す、というパッシブな戦略を企図している。何度か媚びて親しみやすい文体などに切り替えようと試みたこともあるが、自分には無理だということは2年半の間によくわかった。
しかし、自分自身と世間の認識のどちらが変わるかということはさして重要とは思えない。インターネットの海に漂っている以上、このブログは私一人の自己満足で完結するはずもなく、不特定多数の認識によって存在意義が規定されている。したがって、世間の認識が変容するということは、このブログ自身の性質が変容することと同義とも言えるのだ。「自分がどのような人たちにどのように受け入れられていくのか、抵抗せずに身を任せて成り行きを観察する」という受動的としか言いようのないゲームもまた、株式投資に負けず劣らず楽しいものだ。
さて、ブログ開始から1年8ヵ月で10万PV、そこから9ヵ月で20万PVとなった。人気ブログには程遠く、かといって過疎というほどでもなく、ほどほどの存在感で個人投資家ブログの片隅に居場所を構築しつつある。路地裏のこだわり蕎麦屋みたいな投資ブログを読み続けてくださる方々には感謝の念しかない。このブログは何より私自身を洗練させてくれているのだが、読者の皆様にとってもそうあってくれればこれ以上ない喜びだ。
決して減ることはない累計PV数よりも個人的に気になっているのは、伸びが止まったり、減ることもありうる月間PVだ。この数値が、ブログ開始前に予想していた上限である月間15,000にあと少しで到達する。SEOなど全く意識せず、ほとんどの記事において小見出しすらつけず、儲かる銘柄が書いてあるわけでもない、文章だらけの投資ブログが集められる注目の上限はそのくらいであろうと予想した、そこに近づいている。PV数の伸びが本当に止まるとしてもそれは悲観することではないが、ここまでやったのだから、路地裏の頑固蕎麦屋ではなく、投資家界隈における当ブログの存在感をもう少し増していこうという野心も芽生えている。もちろん、やれることといえば今までと同じトーンで、質を落とさず更新し続けることだけ。つまり私が変わるのではなく、世間の認識が変わることによってブログの存在感が増す、というパッシブな戦略を企図している。何度か媚びて親しみやすい文体などに切り替えようと試みたこともあるが、自分には無理だということは2年半の間によくわかった。
しかし、自分自身と世間の認識のどちらが変わるかということはさして重要とは思えない。インターネットの海に漂っている以上、このブログは私一人の自己満足で完結するはずもなく、不特定多数の認識によって存在意義が規定されている。したがって、世間の認識が変容するということは、このブログ自身の性質が変容することと同義とも言えるのだ。「自分がどのような人たちにどのように受け入れられていくのか、抵抗せずに身を任せて成り行きを観察する」という受動的としか言いようのないゲームもまた、株式投資に負けず劣らず楽しいものだ。
個人的には宝の山みたいなブログだと思ってます。
返信削除本質だけが書いてあり、素晴らしいといつも思っております。
ありがとうございます。
削除本質"だけ"が、というのは言い過ぎとしても、時代の試練に耐え、いつまでも参照され続ける内容にしていきたいと考えています。