効率的市場仮説から出発する

 証拠と言うには程遠く、根拠と呼ぶには心許ない個人的主観によって効率的市場仮説を完全否定することは、現代日本において全く犯罪行為ではないし、むしろ社会の多様性を支えるものとして奨励されてすらいる。効率的市場仮説と言っても、効率性の程度にはウィーク型(テクニカル分析の有用性を否定)、セミストロング型(ファンダメンタルズ分析の有用性を否定)、ストロング型(インサイダー情報の有用性を否定)と、情報が株価に織り込まれるとする範囲に違いがあるのだが、ほとんどの人はそんな違いなど取るに足らないものだと考えているかのようだ。とにかく、「市場が効率的であるなら、私が超過リターンをあげ続けることの説明がつかない」の一点張り。しかし、それを諌める声さえ聞こえない。私もあなたを許そう。効率的市場仮説とは、もはやアカデミズム領域でさえ誰も真剣に語ろうとしないどーでもいい骨董品だからだ。

 したがって、タイトルにかかわらず、私は世の個人投資家相手に今更ながらのクラシックな論争を仕掛けようなどという意図は持っていない。私は21世紀を生きる人間だ。そして今更この仮説の解説をしようとも思わない。骨董品の鑑賞は、どうぞウィキペディアへ。
 レトリックを駆使し、こうして前置きの文章を無駄に積み上げているのも、私の言わんとすることがあまりにも単純で、真面目に書けば数行で終わってしまうような内容であるため、少しでも長く読者に楽しんでもらおうというサービス精神の発露に他ならない。それが余計なお世話だというのなら素直に謝りたい。とにかく、本日の主旨はこういうことになる。
「あなたが市場に対して超過リターンを得ようと考えているなら、なおさら効率的市場仮説から出発すべきだ」

 あなたは効率的市場仮説を否定しているので、偶然以上の確率で市場に対する超過リターンをあげることが可能だと考えている。そして超過リターンを得るためには市場の歪みにつけ込む必要があるはずという点についてはほぼ異論がないことと思う。だが、その歪みは何との比較で計測されるべきだろうか。
「完全競争」「完全市場」「効率的市場」 名称は何でもいいが、一切の特殊事情を排除した透明極まりない小宇宙。おそらく、これを基準にする以外にない。「効率的市場」というフィクションは、物理の世界における「なお、空気抵抗は考慮しない」と同じようなものとして扱われるべきもので、むきになって否定する対象ではないのだ。血気盛んな個別株投資家にとってこそ、効率的市場仮説は常に隣に寄り添う友達のような存在であるべきだろう。この透明なコスモスを前提にして市場を眺めると、運が良ければ情報の非対称性によって歪められた株価を発見できるかもしれない。

 例えば私の話をしてみよう。当ブログは投資に関する基礎知識をせいぜいTACの証券アナリスト対策テキストで学んだ程度で、高度な専門書や投資本などを読んだことがない人間によって綴られている。しかしおそらく、個人投資家ブログの中では非オカルト的で丁寧な理論を積み上げる数少ない良心的なブログとなっている。

 保有不動産の含み益はどのように株価に反映されているのか(参考:含み資産は無視すべし)、低PBRであるということは割安であることと同義か(参考:PBRはストックを表さない)、配当と自社株買いに本質的な違いはあるのか(参考:配当と自社株買い)、ROEが高いとは投資家にとってどういうことか(参考:ROE投資シミュレーション(前編))などは、全て教科書から学んだ知識ではなく、市場は効率的であるはずという前提に立脚し、自分で辿りついた考えだ。

『市場が効率的なら含み資産ブームによって三菱地所などの株価が上がることは、上がる前か上がった後のどちらかの株価が間違っている』
『低PBRが仮に割安と同義であるなら、市場がそれを放置する理由は何か(きっと低PBR=割安ではないからだ)』
『配当も自社株買いも企業としては内部留保を放出していることに変わりないので、投資リターンには違いが生じないはず。シミュレーションするとどうなるだろう』

 これらのプロセスが投資リターンに直結するとは限らない。しかし予言したい。効率的市場仮説を反射的に否定し、投資本で即席の知識を仕入れただけのあなたは、効率的市場仮説とお友達になった私の前に敗北する。

コメント

  1. 深いですね。

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  2. プレノンさんは僕と似た意見の時が多いですね。

    なかなか居なくて珍しいので嬉しいです。

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    1. 我ながらあまりにも王道だと思ってるのですが、今や王道を真面目に語る人はめっきりいなくなった感がありますね。と言っても、昔も知らないんですが。

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