ビジネスモデルの賞味期限

   加除式書籍をご存じだろうか。会社の棚には色々な法規集が陳列されている。法令・通達は著しい頻度で条文が追加・削除・改正されるので、定期的な更新が不可欠だ。古い法令を参照して誤った判断を下したりするのはプロフェッショナルとして是非とも避けなければならない。とはいえ、例えば法人税法なりの一つの法令が抜本的に改正されるようなことはまずなく、ほとんどの場合、ごく一部に修正が入るだけである。この場合、法令集を丸ごと一冊買い替えるのは金銭的にも天然資源的にもいかにも無駄が多い。そこで法令集を細かく分割し、変更があるたびに該当部分だけ差し替える加除式書籍が登場した。出版社は最初に重厚な法令集を売り、その後は「追録代」と呼ばれる差し替え料金を別途徴収する。先にも述べたように、様々な法令・通達を棚に集めれば、一年中どこかしらに変更が加えられているので、追録代は事実上の定額課金となる。加除式書籍は出版をモノ売りからサービスへと変貌させたのだ。しかも改正法令の内容は無料で公開されているので、コンテンツ取得費はかからない。
 経理部の横でしょっちゅう法令集を差し替えている出版社の人を見て、私はいつもこのビジネスモデルの優秀さに感心するのだった。同時に加除式出版社が上場していても、その凋落の予感から決して買いたくないと思うのだ。
 自慢じゃないが、私は法令集など見ない。いや、正確に言えば加除式では対応していない逐条解説を除き、法令を紙の書籍で参照することはない。法令だけならインターネットで簡単に最新のものを確認することが出来る。法令集は私だけでなく経理部の誰からも参照されることなく、書棚の中に燻っている。年間稼働率は実にゼロ。もはや定期交換は惰性によって契約されているだけであり、私が経理部長になった暁には真っ先に予算削減の対象となる悲しい運命にある。テクノロジーが一つのビジネスモデルを凋落に導く一例がここに垣間見える。

 「良いビジネスを買え」と人は言う。大賛成だ。私もバリュエーションより先にビジネスを買いたいと思っている。
 しかし、未来永劫盤石なビジネスはこの世に存在しない。炭酸飲料が常に愛され続ける存在である保証はないし(コカ・コーラ)、ウォルマートの陳列棚を占拠してもオンラインショッピングへ顧客が流れ大規模ブランド戦略が機能しなくなるかもしれない(P&G)。AIによる信用調査の信頼性が増して人力による格付けの権威が機能しなくなるかもしれない(ムーディーズ、S&Pグローバル)。決済ネットワークはSNSやeコマースの客寄せパンダとして提供され手数料の価格破壊が起きるかもしれない(ビザ、マスターカード)。宇宙太陽光発電システムが完成し化石燃料はお払い箱になるかもしれない(オイルメジャー)。全米ライフル協会によるロビー活動にもかかわらず米国で完全な銃規制が確立するかもしれない(銃メーカー)。マリファナが喫煙の主役に躍り出るかもしれない(たばこ会社)。

 アニュアルレポートのリスク要因欄を熟読すれば、危機を事前に予測できるだろか。まさか! あんな責任回避のためだけに記載されているものを読んでも得られるものなんてない。
 失望は時期尚早だ。全ては数字が教えてくれるというスタンスをあなたは採ることが出来る。成長も、凋落も、確かに数字が教えてくれる。どんくさい他の投資家が株を投げ売りする前に、いち早く数字から凋落の兆候をあなたは察知する。さあ他の船へ飛び乗るんだ。
 あるいは自分でより強いビジネスモデルを追求し、社会の変化に対し感覚を研ぎ澄ませ、数字に表れる前に投資行動に反映するというスタンスだっていいだろう。
 「自信過剰バイアスにまみれた馬鹿が。そんなことが出来るものならやってみな」という挑発的な見解を無視し、個別投資家は絶えず観察し、考え、行動する態勢をとり続ける必要がある。私は結果以上にプロセスを重視するので、この際、懐疑派の言う通りできっこなくたって問題ないとさえ考える。この予測の楽しさこそが個別株投資の醍醐味であり、投資家に資産増加以上の実りを与えてくれるものだと信じている。ああ、もちろん損なんてするつもりはないけれど。

 「この企業は過去50年間連続増配していたので今後も安泰だ」という投資家は、個別株ではなくどちらかというとインデックス投資に向いている。是非転向して、私のブラックロック株に恩恵をもたらして欲しい。

コメント

  1. 書籍等でこの銘柄は上がる!(十年前に書いて今だに書籍発表時の高値を抜けない)、とかここ1年は今から仕込む底値だ!とか2007年に書いたりとか、2009年にダウは5年ずーと底値を這い続ける!とか書いたアメリカの投資家がいたりとかまあ枚挙にいとまがありませんね。

    うきうきしながら個別銘柄もしくは日経平均を予想してそれを外して赤っ恥をかくまでが個別銘柄での株式投資家の愉しみのひとつ、というのはもっと周知されていいと思います。
    金を儲ける云々は誰でもわかっていることなのですから。

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    1. 私自身、何度も恥をかいていますが、なぜ間違ったのかという検証を繰り返して少しずつマシな分析ができるようになって来た気がします。この楽しさを得るためなら喜んでお金を支払える。そういう気持ちがありますね。それでいて市場平均を上回れれば本当に最高ですが、さてどうなることやら。

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  2. (コメントでなく、リクエストで恐縮です。

    会計や税務分野のサブスクリプション型企業が多く出てきているように見えており、興味があるのですが、競合関係がいまいち捉えきれないです。もしご関心とお時間ありましたら、いつかブログ記事のネタとして「会計や税務分野のSaaSなど(お任せいたします)」について取りあげていただけますと幸いです。

    私のブログで、税務SaaSのアバララについて少し調べたものを記事にしています。(https://inspiresleep.blogspot.com/2018/06/avalara-inc-nyseavlrsaasipo.html)

    厚かましいお願い失礼しました。)

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    1. 安請け合いするには難易度の高い依頼ですね...SaaSはADBEとCRM(とMSFTの一部)という超王道企業しか保有しておらず、乱立する小規模SaaS勢は知識皆無に近いのです。なので確約できませんが、頑張って記事にしてみたいと思います。

      新しいブログ、ちょっと前に偶然見つけました。その時はとある米国株ブログに言及されていて、「似てるな」と思いつつ確信が持てませんでした。今はすっかり以前のパワーが宿った記事のラインナップになっていますね。楽しみが戻って来て嬉しいです。

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    2. 私もその後折を見てSaaSについて調査してみました。まさに乱立で、特定の個別企業が競争優位を持つと確信できるだけの情報を得ることができていません。

      トラックレコードでなく将来予測として、顧客維持率がどのように推移するかさえ不確実性が大きいように感じます。簡単にはトラックレコードを外挿する(いままでのように成長するという将来予測)こともできますが、それはあまりにも危険な予想で、業績悪化・鈍化による株価急落に対して無防備すぎます。

      小規模SaaSに投下するか検討しうる資金はMSFTやGOOGなどに置いておいた方が期待リターンとリスクのバランスも圧倒的に優れていると思いました。

      産業構造の変化といった視点でSaaSを眺めるにとどめ、投資はしないことにしています。

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    3. ツイッターでは既に敗北宣言をしていたのですが、私も様々なSaaS企業を調べて、結局辿りついた結論は「わからない」でした。
      数が多すぎる。
      感覚的にサービス内容が理解できない。
      株式報酬による営業CFの嵩増しをどう考えるか。
      様々な難題が降ってかかり、ギブアップというわけです。
      ただその過程で面白い読み物を見つけました。
      https://www.salesforce.com/jp/solutions/small-business-solutions/resources/SaaS-Startup-Founders-Guide/

      序盤のSaaS企業にとってのPLの捉え方など参考になります。

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